真間の手児奈

2023-05-05
言のみも 名のみも我は 忘らえなくに

万葉集巻三に、山部赤人が葛飾の真間の手古奈伝説に感興を覚えて詠んだ歌がある。手古奈はうら若い乙女であったが、自分を求めて二人の男が争うのを見て、罪の深さを感じたか、自ら命をたったという伝説である。赤人は、鄙の地にかかる悲しい話が伝わっているのに接して、哀れみの情を覚え、歌にしたものと思える。

―勝鹿の真間の娘子が墓を過れる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌
古に ありけむ人の 
倭文幡(しつはた)の 帯解き交へて 臥屋建て 妻問しけむ 
勝鹿の 真間の手兒名が 奥津城を こことは聞けど 
真木の葉や 茂みたるらむ 松が根や 遠く久しき 
言のみも 名のみも我は 忘らえなくに(431)
反歌
我も見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手兒名が奥津城ところ(432)
勝鹿の真間の入江に打ち靡く玉藻苅りけむ手兒名し思ほゆ(433)

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